スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

暗殺教室(イト狭):押しかけ旦那と高みの見物

コバルト色に光る空。モクモク立ち上る入道雲。…じりじりと皮膚を焼く、燃え盛る太陽。
イトナは住んでいるボロアパートの部屋のドアを開け、眩しい世界、鼓膜を突き破りそうなアブラゼミのフルコーラスの中へと出ていく。
 錆びついた鉄骨の階段を降り切って、ふと横を見れば、口煩い大家が細々やっている小さな家庭菜園の木の柵から、ちょうど食べ頃のきゅうりが飛び出していた。イトナはしれっとした顔で短パンのポケットから万能ナイフを取り出し、ハサミの部分できゅうりの弦をちょんと切った。

 にゃー。
 
 足元を見ると、大家の可愛がっている肥った三毛猫が、咎めるような目でイトナを見上げていた。しー、と唇に指をあてて、もいだばかりのきゅうりを持って、イトナは歩き出す。

 綺羅々はレースのカーテンが巧い具合に日陰を作る部屋の中で、電気も着けずに静かに本を読んでいた。
 ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽーん。
 突如それを邪魔する、けたたましいインターホンの音。綺羅々は顔を顰め、耳栓を小物入れから取り出した。それを耳に突っ込んで、再び本を開く。まだ音は聞こえるが、大分マシになった。暫くすると、客人(大体誰かは予想がつくが)は諦めたのか、インターホンを馬鹿みたいに鳴らすのを止めた。
 帰ったのかな?そう思って耳栓を外すと、今度はテーブルの上に置いたスマホが振動を始めた。
面倒くさそうにメールボックスを開くと、そこにはこう書いてあった。

 差出人:糸成
 これ以上居留守使うなら戸川純の「好き好き大好き」をこの場で、大声で、エンドレスリピートで歌う所存だが

 やめろ、それだけはやめろ。

 綺羅々は慌てて立ち上がり、玄関に出た。
 がちゃりとドアの鍵を開けると、イトナは同年代の男性たちと比べれば小柄で華奢な身体を部屋の中に滑り込ませながら、いつもの無表情で言い放つ。
「最初からそうすればいいんだ」
 綺羅々はため息をつく。
 
 偉っそーに。

「今日は何の用よ」
 迷惑だという思いを隠しもせずに訊いてやれば、イトナは淡々と答えた。
「今日は夏祭りがあるんだ」
「…パス。何が悲しくてあんな人でごった返したところに行かなきゃならないのよ」
 確かに中学時代とかは、寺坂たちとひやかしに行ったこともあったが、こんな年になってまでリンゴ飴や綿菓子もないだろう。
 意外なことにイトナは大きく頷いた。
「それについては全く俺も同感だ」

はぁ?

「じゃあなんで来たのよ」
 綺羅々の尤も過ぎる質問に、イトナはサンダルを脱いで揃えながら答える。
「お前の部屋からなら花火がきっと良く見えると思ってな。ああ、手土産もあるぞお前の好きなジントニックと、つまみにポテトチップ。あときゅうり」
 イトナは右手に下げたビニール袋と、左手に直に掴んだきゅうりを掲げて見せる。
「河童じゃあるまいし」
「大家の庭先からくすねてきたばかりだから新鮮だぞ」
 悪びれる様子もなく言うイトナに、綺羅々は呆れたように返した。
「今すぐに警察に突き出してやろーか、窃盗と家宅侵入罪で」
「お前も食べれば共犯だ」
 そんなバカバカしい会話をしながら、綺羅々は結局イトナを部屋に上げてやることになるのだ。いつもそうだ。
「台所借りるぞ」
 イトナは我が物顔で、ままごと染みているほど小さくて異常に綺麗なキッチンに向かう。それから、プラスチック製の薄いまな板と包丁をいとも簡単に探し出して用意し、きゅうりを水道水で洗う。
「相変わらず殺風景な台所だな」
「煩いよ」
 綺羅々は部屋に戻り、三度本を開いた。しばらくはきゅうりを刻む音や食器をガチャガチャ漁る音など、作業の音しかしなかった。どこに何があるか、綺羅々の部屋の台所事情をイトナはすっかりマスターしているので、綺羅々が何か教える必要も、イトナが何か質問する必要もなかった。
 こうして静かにしているうちはまだ良いのだが、きゅうり一本じゃどう料理したってそう長い時間は掛からないわけで。ものの五分もしないうちにイトナは台所を離れ、部屋に入ってきた。
「村松みたいにとは行かないが。」
 そうひとりごちながら綺羅々の隣にちょこんと座る。
「ちゃんと片付けてきたんでしょーね」
 本から目も上げずに綺羅々は言う。イトナはそれには答えず、勝手に本を覗き込んだ。少し目で文章を追って読んで、ぽつりと呟く。
「未來のイヴ?」
「あら、良く知ってるじゃない珍しい」
 綺羅々が少し驚く。

 普段あまり小説を読まない奴なのに。

 イトナはページを漠然と眺めながら答える。
「題名と軽いあらすじだけはな。エジソン博士で解った」
「面白いわよ、貸そうか?」
 イトナは首を数回小刻みに横に振った。
「俺はSFは、特に古典のは読まない。有り得ないから」
「あっそ」
 この工学オタ。
「窓開けていいか?」
 イトナが訊いてくる。綺羅々は少し考えて、頷いた。

 もう暑さのピークは過ぎたし、いいか。

 イトナは立ち上がり、窓を全開にした。
「良い風入るじゃないか」
 窓の傍に仁王立ちして、そよそよ風に髪をなびかせながらイトナはしばらくぼけーっとしていた。
 少しすると、お神輿を担ぐ掛け声と思しき男たちの声が、「えいさっ、そいやーえいさっ、そいやー」とどこからともなく聞こえてくる。
「祭りモード全開だな」
 イトナが外を指さし、若干楽しそうにも聞こえる口調で綺羅々に言う。綺羅々は相変わらず静かに本のページを捲りながら答える。
「煩いだけだね」
「つまらない奴だな」
「つまらなくて結構。出口はあっちよ」
 綺羅々は玄関の方を指さした。
「…今夜は帰りたくない」
 イトナが突如、声のトーンを落として静かに呟く。
「…は?」
 冷房も利いてない、夏の夕方の温い部屋の空気が、一気に変わった。綺羅々はつい本から顔を上げて、イトナの背中を見つめてしまう。イトナは何も言わず、真剣な目をして隣の平屋の屋根しか見えない筈の窓の外を見つめていた。
 …しばらく、奇妙な静寂が二人の周りを包み込む。やがて、イトナが、ゆっくりと静寂を破った。
「…花火を観るまでは」

 バカヤロウ。

 綺羅々は手近にあった消しゴムを、思い切りイトナの背中に投げつけてやった。

 そうこうしているうちにイトナが作っていたきゅうりの浅漬けが出来たらしく、イトナは台所に立って行った。また部屋に戻ってきた時、小さな器に入れた浅漬けを大事そうに両手に持っていた。
「これできゅうり一本分?少ないね」
 綺羅々が驚いたように言う。綺羅々は中学生時代に一度、ある目的のために家庭科の筆記で満点を取ったことがあったが、実技の方はそれほど好きでも得意でもなく、独り暮らしということもあって料理もそんなにしなかった。
 イトナがちょっと驚いたようにいつもより僅かに余計に目を見開いて言った。
「お前本当に料理しないんだな」
 それから、何とも余計なひと言を付け加える。
「俺は料理に口煩い方だが、そんなことで本当に大丈夫か?」
「…何がさ」
 何となく言わんとしていることはわかるが、理解してなんかやりたくない。綺羅々は頭を右手で抑え、本に視線を戻した。イトナもそれ以上は言わなかった。

 徐々に辺りが暗くなってくる。窓の外を見やれば、空の色の青みは深さを増していた。よく考えれば夏至から約二か月が経つ、今日もお日様のご機嫌は絶好調で、焦げ付きそうな猛暑日だったが、昼の長さは確実に短くなっていた。こうしてまた一年が過ぎていくんだなあとぼんやり考えていたら、イトナがリモコンを取って蛍光灯を点けてくれた。
「もうすぐ始まるな」
 イトナは呟いた。
 イトナはまたしても台所に立ち、冷蔵庫で冷やしてあった発泡酒の缶を取りに行く。一本はジントニックで、もう一本はビール。そしてポテトチップのうす塩味の袋を器用にパーティー開けにして、簡単な晩酌の用意が出来上がった。
「はい、あーん」
 イトナが爪楊枝に刺したきゅうりの一切れを、綺羅々の前に突き出す。
「…」
 綺羅々は露骨に嫌な顔をした。
 いつだったか、イトナは前にも同じことをした。その時は頑なに唇を結んで、じーっと睨み付けていたら、コイツはあろうことか、徐に綺羅々の鼻を摘まんで呼吸を塞ぎにかかった。またそんなことをされるのは真っ平なので、綺羅々は仕方なく口を開けてやった。イトナはきゅうりを綺羅々の口の中へいれる。綺羅々が爪楊枝を咥えるようにすると、イトナはそれをすうっと引き抜いた。
「旨いか?」
 イトナが綺羅々をその大きな目でじぃっと見つめながら訊いてきた。
「…塩っ辛い」
 綺羅々は何とかきゅうりを咀嚼しながらも顔を顰めた。
「おかしいな、村松に習った通り作ったんだが。お前が運動しなさすぎるからじゃないのか?」
 余計なお世話よ。
「じゃあ食べてみなさいよ」
 やっとのことで飲み込みながら、綺羅々は漬物の皿をあごでしゃくった。イトナは小首を傾げながらも指で一切れ摘まんで、口に入れてみる。そして眉根に皺を寄せた。
「本当に辛い。誰だこんなの作った奴は」
「紛れもないあんたでしょ。責任持って全部食べなさいよ」

 全く。

 綺羅々は本日何度目かも解らないため息を吐く。

 私はどちらかというと他人を振り回して困らせるタイプの人間だと思ってたんだけど。コイツが絡んでくると、どうにも調子が狂ってしまう。

 綺羅々が横目でイトナを見ると、彼は何を思ってそうしているのか、爪楊枝に数切れ串刺しにしたきゅうりを右手に、ポケットから取り出したマイナスドライバーを左手に持ってじっくりと見比べていた。

 コイツは非常に、マイペースに過ぎる男だ。その上、口数は多くないが巧く立ち回って結局自分の望みを叶えてしまう器用さもある。そんなコイツと何となく一緒にいるが、私はずっとコイツの行動に振り回されっぱなしだ。
でも、それは逆に考えればこっちも何の気も遣わなくていいということで。別に今までも誰かに対して気を使ったことなんかないけれど(小さい時など母親の顔色を伺いながら生きていた時もあったが)。とにかく、コイツの作る空気は悪くない、のだ。

『スターマイン、なんとかかんとか様のご寄附に拠ります…』
 遠くから、部分的に不鮮明な放送が聞こえる。
「始まるってよ」
 綺羅々はポテトチップを摘まみながらイトナに言う。イトナはドライバーをテーブルの上に置き、窓の外を見た。

 ひゅるるるるるる。
 そんな音とともに光の糸が空高く昇る。
 パーン、ドカーン。
 大きな破裂音がして、ガラスにも遮られていない鮮やかな紺碧の空に、赤や青や金色の花火が咲き誇る。音とほぼ同時に次から次へと様々な色や形の花火が花開く様子を、イトナは子供みたいに飽きずに眺めている。子猫みたいに大きな澄んだ瞳は、花火の色を映して宝石みたいに光っている。
「あんた今、楽しい?」
 綺羅々も花火を見上げながら、爆音に紛れ込ませながらイトナの無表情な横顔に訊いてみる。

 何が、ってのは、花火でも良いし、私と一緒にいて、でも良い。私はコイツが、一時期本当に辛い生を送ってきたことを知っている。程度は比較にならないけれど、私もどこか冷めたものをずっと抱えて生きてきた。

 音が一瞬収まった時、イトナは綺羅々の方を向いて聞き返す。
「何か言ったか?」
 綺羅々はつまらなさそうに頬杖をつきながら、またポテトチップをつまむ。
「別に」
 それから程なくして、また新たな花火が大きな音と共に空に上がる。爆発音に紛れ込ませながら、イトナは小さく呟いた。

「楽しくなければ、ここには居ない」

over
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。